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吉田 東洋(1816-1862)
吉田 東洋(よしだ とうよう)は、江戸時代後期(幕末)の土佐藩士・参政。諱は正秋。東洋は号。後藤象二郎は義理の甥にあたる。 出自 吉田氏は、藤原北家・俵藤太秀郷の後裔。土佐国長岡郡江村郷の吉田城を本貫として氏と為した香美郡夜須城主・吉田備後守重俊の孫である吉田俊政(孫助)が直接の先祖であり、吉田正義(市左衛門)の嫡流の子孫にあたる。 戦国期の吉田氏は長宗我部元親に仕えた。土佐在郷の名家のため吉田正義は山内一豊の入国後、一豊から三顧の礼をもって仕官を勧められ、土佐藩上士として迎え入れられた。 生涯 文化13年(1816年)、土佐藩上士・吉田光四郎正清の四男として高知城下帯屋町にて誕生。...
この人物の情報
schema:alternateName | ヨシダ トウヨウ |
schema:name | 吉田 東洋; 吉田東洋; 吉田, 正秋; 正秋; 子悦; 東洋 |
schema:abstract | 吉田 東洋(よしだ とうよう)は、江戸時代後期(幕末)の土佐藩士・参政。諱は正秋。東洋は号。後藤象二郎は義理の甥にあたる。 出自 吉田氏は、藤原北家・俵藤太秀郷の後裔。土佐国長岡郡江村郷の吉田城を本貫として氏と為した香美郡夜須城主・吉田備後守重俊の孫である吉田俊政(孫助)が直接の先祖であり、吉田正義(市左衛門)の嫡流の子孫にあたる。 戦国期の吉田氏は長宗我部元親に仕えた。土佐在郷の名家のため吉田正義は山内一豊の入国後、一豊から三顧の礼をもって仕官を勧められ、土佐藩上士として迎え入れられた。 生涯 文化13年(1816年)、土佐藩上士・吉田光四郎正清の四男として高知城下帯屋町にて誕生。... |
schema:birthDate | 1816 |
schema:deathDate | 1862 |
schema:description | 世尊寺家 |