creator search
吉田 経房(1142-1200)
吉田 経房(よしだ つねふさ)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家勧修寺流、権右中弁・藤原光房の子。官位は正二位・権大納言。 源頼朝の鎌倉政権(後の鎌倉幕府)より初代関東申次に任ぜられた。吉田家(後の甘露寺家)の祖。 経歴 久安6年(1150年)、僅か9歳で従五位下・侍従に任ぜられると、翌年に急死した兄・信方に代わって、伊豆守を遥任ながら7年間務めている。その後、後白河天皇の姉である上西門院や妃の建春門院の側近となる一方、六条・高倉両天皇の蔵人を務めた事から、平清盛の知遇を得る。 その後、平氏政権の実務官僚として、嘉応2年(1170年)に左少弁に任ぜられ三事兼帯して...
この人物の情報
schema:alternateName | ヨシダ ツネフサ |
schema:name | 吉田 経房; 吉田経房; 藤原, 経房; 藤原; 経蓮; 吉田大納言; 吉田; 勘解由小路 |
schema:abstract | 吉田 経房(よしだ つねふさ)は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての公卿。藤原北家勧修寺流、権右中弁・藤原光房の子。官位は正二位・権大納言。 源頼朝の鎌倉政権(後の鎌倉幕府)より初代関東申次に任ぜられた。吉田家(後の甘露寺家)の祖。 経歴 久安6年(1150年)、僅か9歳で従五位下・侍従に任ぜられると、翌年に急死した兄・信方に代わって、伊豆守を遥任ながら7年間務めている。その後、後白河天皇の姉である上西門院や妃の建春門院の側近となる一方、六条・高倉両天皇の蔵人を務めた事から、平清盛の知遇を得る。 その後、平氏政権の実務官僚として、嘉応2年(1170年)に左少弁に任ぜられ三事兼帯して... |
schema:birthDate | 1142 |
schema:deathDate | 1200 |
schema:description | 貴族 |