熊本生まれ、儒学者・政治思想家。父は熊本藩士。天保14年(1843)頃、実践的朱子学「実学」を提唱し、私塾小楠堂を開く。安政5年(1858)には福井藩主松平慶永(春岳)に政治顧問として招かれ、『国是三論』を著した。文久2年(1862)松平春岳の幕府政事総裁職就任を期に江戸で幕政改革に関与、公武合体運動を推進するが失脚。士籍を剥奪されて熊本に蟄居し、勝海舟、大久保一翁や諸国の志士との交流を続けた。維新後は政府参与に就任するが、保守派の手で暗殺された。
「近代日本人の肖像」より
横井 小楠(よこい しょうなん、文化6年8月13日(1809年9月22日) - 明治2年1月5日(1869年2月15日))は、日本の武士(熊本藩士)、儒学者、政治家。 維新の十傑の1人。 熊本藩において藩政改革を試みるが、反対派による攻撃により失敗。 その後、福井藩の松平春嶽に招かれ政治顧問となり、幕政改革や公武合体の推進などにおいて活躍する。 明治維新後に新政府に参与として出仕するが暗殺された。 本姓は平氏。 「小楠」は、彼が使った号の一つ。 諱は「時存」(「ときひろ」「ときあり」)であり、正式な名のりは平時存(たいら の ときひろ / ときあり)。 通称は「平四郎」で、北条平四郎時存、北条...
「Wikipedia」より