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平 信範(1112-1187)
平 信範(たいら の のぶのり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。桓武平氏高棟流、兵部大輔・平知信の三男。官位は正三位・兵部卿。日記『兵範記』の作者として著名である。また、国宝平家納経の筆者のうちの一人と目される。 経歴 保安2年(1121年)に文章生となり、以後、蔵人、修理亮、左兵衛尉、左衛門少尉、甲斐権守などを歴任する。また、摂関家(近衛家)の家司として藤原忠実から近衛基通の4代にわたって仕えた。特に藤原忠通からの信任が厚く、嫡男・基実の乳母を信範の正室が務め(『山槐記』治承3年6月10日条注記)、また基実が従三位に任ぜられて政所を設置した際の唯一の家司は信範であり、...
この人物の情報
schema:alternateName | タイラ ノブノリ |
schema:name | 平 信範; 平信範 |
schema:abstract | 平 信範(たいら の のぶのり)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。桓武平氏高棟流、兵部大輔・平知信の三男。官位は正三位・兵部卿。日記『兵範記』の作者として著名である。また、国宝平家納経の筆者のうちの一人と目される。 経歴 保安2年(1121年)に文章生となり、以後、蔵人、修理亮、左兵衛尉、左衛門少尉、甲斐権守などを歴任する。また、摂関家(近衛家)の家司として藤原忠実から近衛基通の4代にわたって仕えた。特に藤原忠通からの信任が厚く、嫡男・基実の乳母を信範の正室が務め(『山槐記』治承3年6月10日条注記)、また基実が従三位に任ぜられて政所を設置した際の唯一の家司は信範であり、... |
schema:birthDate | 1112 |
schema:deathDate | 1187 |
schema:description | 貴族 |