平 信範(たいら の のぶのり、天永3年(1112年) - 文治3年2月12日(1187年3月23日))は、平安時代末期の公卿。 桓武平氏高棟王流、兵部大輔・平知信の三男。 母は主殿頭・藤原惟信の娘。 兄弟に時信・知範。 正室は少納言藤原能忠の娘。 子に信基・信国・信季らがある。 正三位、兵部卿。 字は平能。 日記『兵範記』の作者として著名である。 また、国宝平家納経の筆者のうちの一人ともくされる [経歴] 保安2年(1121年)に文章生となり、以後、蔵人、修理亮、左兵衛尉、左衛門少尉、甲斐権守などを歴任する。 また、摂関家(近衛家)の家司として藤原忠実から近衛基通の4代にわたって仕えた。 ...
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