creator search
三条西 実枝(1511-1579)
三条西 実枝(さんじょうにし さねき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿・歌人・古典学者。右大臣・三条西公条の子。官位は正二位・内大臣。 経歴 天文13年(1544年)に長男・公世と妻を相次いで失っている。『甲信紀行の歌』によれば、天文16年(1547年)に甲斐国へ下向し、武田信繁や大井信常らと歌会を行っている。天文21年(1552年)以降京都を離れ、駿河国へ移った。 駿河国滞在時に武田信玄による駿河侵攻が発生、その最中の永禄12年(1569年)に駿河国一宮の富士山本宮浅間大社に和歌を奉納している。その際の祝詞では武田氏の戦勝を祈願する体裁をとっている。同年に帰洛した後は、精力...
この人物の情報
schema:alternateName | サンジョウニシ サネキ |
schema:name | 三条西 実枝; 三条西実枝; 実枝; 実澄; 豪空; 三光院 |
schema:abstract | 三条西 実枝(さんじょうにし さねき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿・歌人・古典学者。右大臣・三条西公条の子。官位は正二位・内大臣。 経歴 天文13年(1544年)に長男・公世と妻を相次いで失っている。『甲信紀行の歌』によれば、天文16年(1547年)に甲斐国へ下向し、武田信繁や大井信常らと歌会を行っている。天文21年(1552年)以降京都を離れ、駿河国へ移った。 駿河国滞在時に武田信玄による駿河侵攻が発生、その最中の永禄12年(1569年)に駿河国一宮の富士山本宮浅間大社に和歌を奉納している。その際の祝詞では武田氏の戦勝を祈願する体裁をとっている。同年に帰洛した後は、精力... |
schema:birthDate | 1511 |
schema:deathDate | 1579 |
schema:description | 公家 |