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淡海 三船(722-785)
淡海 三船(おうみ の みふね)は、奈良時代後期の皇族・貴族・文人。始め御船王を名乗るが、臣籍降下し淡海真人姓となる。弘文天皇の曽孫。内匠頭・池辺王の子。官位は従四位下・刑部卿。勲位は勲三等。 経歴 天平年間に唐僧・道璿に従って出家し、元開と号す。 孝謙朝の天平勝宝3年(751年)30人ほどの諸王に対して真人姓の賜姓降下が行われた際、勅命により還俗して御船王に戻ったのち、淡海真人の氏姓を与えられて臣籍に降下、淡海三船と名を改めた。のち、式部少丞・内豎を歴任するが、天平勝宝8年(756年)朝廷を誹謗したとして、出雲守・大伴古慈斐と共に衛士府に禁固され、間もなく放免されている。 淳仁朝では...
この人物の情報
schema:alternateName | オウミ ミフネ |
schema:name | 淡海 三船; 淡海三船; 元開 |
schema:abstract | 淡海 三船(おうみ の みふね)は、奈良時代後期の皇族・貴族・文人。始め御船王を名乗るが、臣籍降下し淡海真人姓となる。弘文天皇の曽孫。内匠頭・池辺王の子。官位は従四位下・刑部卿。勲位は勲三等。 経歴 天平年間に唐僧・道璿に従って出家し、元開と号す。 孝謙朝の天平勝宝3年(751年)30人ほどの諸王に対して真人姓の賜姓降下が行われた際、勅命により還俗して御船王に戻ったのち、淡海真人の氏姓を与えられて臣籍に降下、淡海三船と名を改めた。のち、式部少丞・内豎を歴任するが、天平勝宝8年(756年)朝廷を誹謗したとして、出雲守・大伴古慈斐と共に衛士府に禁固され、間もなく放免されている。 淳仁朝では... |
schema:birthDate | 722 |
schema:deathDate | 785 |
schema:description | 貴族 |