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大橋 訥庵(1816-1862)
大橋 訥庵(おおはし とつあん、文化13年〈1816年〉 - 文久2年7月12日〈1862年8月7日〉)は、江戸時代後期の儒学者、尊王論者。諱は正順、通称は順蔵、字は周道、訥庵は号で「とっつあん(父っつあん)」の言葉に洒落て漢字を宛てたもの。坂下門外の変を計画した人物であり、幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を及ぼした。 生涯 生い立ち 文化13年(1816年)、長沼流兵学者の清水赤城の四男として生まれる。当初、母方の親族である信濃飯山藩士の酒井力蔵の養子となるが後に離縁している。天保6年(1835年)、儒学者の佐藤一斎に師事する。天保12年(1841年)、江戸日本橋の豪商佐野屋大橋淡雅の...
この人物の情報
schema:alternateName | オオハシ トツアン |
schema:name | 大橋 訥庵; 大橋訥庵; 大橋, 訥菴; 正順; 周道; 順蔵; 訥庵 |
schema:abstract | 大橋 訥庵(おおはし とつあん、文化13年〈1816年〉 - 文久2年7月12日〈1862年8月7日〉)は、江戸時代後期の儒学者、尊王論者。諱は正順、通称は順蔵、字は周道、訥庵は号で「とっつあん(父っつあん)」の言葉に洒落て漢字を宛てたもの。坂下門外の変を計画した人物であり、幕末の尊王攘夷運動に大きな影響を及ぼした。 生涯 生い立ち 文化13年(1816年)、長沼流兵学者の清水赤城の四男として生まれる。当初、母方の親族である信濃飯山藩士の酒井力蔵の養子となるが後に離縁している。天保6年(1835年)、儒学者の佐藤一斎に師事する。天保12年(1841年)、江戸日本橋の豪商佐野屋大橋淡雅の... |
schema:birthDate | 1816 |
schema:deathDate | 1862 |
schema:description | 学者 |