熊本生まれ。儒学者、宮内官僚。父は熊本藩士。藩校時習館で横井小楠に師事。明治3年(1870)藩知事細川護久の侍読となる。翌年宮内省へ出仕、明治天皇の侍講となる。10年(1877)宮内省に天皇側近としての侍補職設置を実現。12年(1879)藩閥政治を批判し天皇親政運動を展開するが失敗、侍補職廃止。14年(1881)1等侍講。19年(1886)宮中顧問官。21年(1888)から枢密顧問官。「教学大旨」の起草、「幼学綱要」の編纂等にたずさわり、教育勅語の起草にあたった。
「近代日本人の肖像」より
元田 永孚(もとだ ながさね、文政元年10月1日(1818年10月30日) - 明治24年(1891年)1月22日)は、日本の武士・熊本藩士、儒学者。 男爵。 名は「えいふ」ともいう。 幼名は大吉。 通称は伝之丞、八右衛門。 雅号は東野。 字は子中。 [略歴] 文政元年(1818年)、熊本藩士・元田三左衛門(700石(本知550石))の子として生まれる。 元田家は藩内で上士層に位置する。 父・三左衛門は、永孚の幼少期には藩主小姓を勤め、のち側取次役となるなど多忙であったため、祖父の元田自泉より厳しい教育を受け、「唐詩選」「論語」などを学ぶ。 永孚が11歳のとき熊本藩の藩校時習館に学び、横井小...
「Wikipedia」より