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京極 為兼(1254-1332)
京極 為兼(きょうごく ためかね)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。名前の読みを「ためかぬ」とする説もある。 生涯 京極家の祖・京極為教の子に生まれる。幼少時の初学期から従兄の為世とともに祖父為家から和歌を学ぶ。幼少時から主家の西園寺家に出仕して西園寺実兼に仕えた。為兼の「兼」は実兼からの偏諱であると考えられている。建治2年(1276年)には亀山院歌会に参会し、為兼和歌の初見となっている。 弘安3年(1280年)には東宮煕仁親王(後の伏見天皇)に出仕し、東宮及びその側近らに和歌を指導して京極派と称された。伏見天皇が践祚した後は政治家としても活躍したが、持明院統側公家として皇統の迭立に関与し...
この人物の情報
schema:alternateName | キョウゴク タメカネ |
schema:name | 京極 為兼; 京極為兼; 藤原, 為兼; 京極, 爲兼 |
schema:abstract | 京極 為兼(きょうごく ためかね)は、鎌倉時代後期の公卿・歌人。名前の読みを「ためかぬ」とする説もある。 生涯 京極家の祖・京極為教の子に生まれる。幼少時の初学期から従兄の為世とともに祖父為家から和歌を学ぶ。幼少時から主家の西園寺家に出仕して西園寺実兼に仕えた。為兼の「兼」は実兼からの偏諱であると考えられている。建治2年(1276年)には亀山院歌会に参会し、為兼和歌の初見となっている。 弘安3年(1280年)には東宮煕仁親王(後の伏見天皇)に出仕し、東宮及びその側近らに和歌を指導して京極派と称された。伏見天皇が践祚した後は政治家としても活躍したが、持明院統側公家として皇統の迭立に関与し... |
schema:birthDate | 1254 |
schema:deathDate | 1332 |
schema:description | 公家 |