久坂 玄瑞(くさか げんずい)は、幕末の長州藩士。 幼名は秀三郎、名は通武(みちたけ)、通称は実甫、誠、義助(よしすけ)。 妻は吉田松陰の妹、文。 長州藩における尊王攘夷派の中心人物。 栄典は贈正四位(1891年)。 [経歴] 天保11年(1840年)長門国萩平安古(ひやこ)本町(現・山口県萩市)に萩藩医・久坂良迪、富子の三男・秀三郎として生まれる(二男は早世している)。 幼少の頃から城下の私塾の吉松塾で四書の素読を受けた(この塾には高杉晋作も通っていた)。 ついで藩の医学所・好生館に入学したが、14歳の夏に母を亡くし、翌年には兄・久坂玄機が病没した。 そして、その僅か数日後に父も亡くし、1...
「Wikipedia」より