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熊沢 蕃山(1619-1691)
熊沢 蕃山(くまざわ ばんざん、元和5年(1619年) - 元禄4年8月17日(1691年9月9日))は、江戸時代初期の陽明学者である。諱は伯継(しげつぐ)、字は了介(一説には良介)、通称は次郎八、後に助右衛門と改む、蕃山と号し、また息遊軒と号した。 生涯 生い立ち 京都稲荷(現・京都府京都市下京区)の浪人であった父・野尻藤兵衛一利と母・亀女の6人兄弟の長男として生まれる。幼名は左七郎。8歳の時、母方の祖父、熊沢守久の養子となり熊沢姓を名乗ることとなった。 藤樹門下 寛永11年(1634年)池田輝政の女婿であった丹後国宮津藩主京極高広の紹介で、輝政の孫である備前国岡山藩主池田光政の児...
この人物の情報
schema:alternateName | クマザワ バンザン |
schema:name | 熊沢 蕃山; 熊沢蕃山; 熊沢, 伯継; 伯継; 了介; 蕃山 |
schema:abstract | 熊沢 蕃山(くまざわ ばんざん、元和5年(1619年) - 元禄4年8月17日(1691年9月9日))は、江戸時代初期の陽明学者である。諱は伯継(しげつぐ)、字は了介(一説には良介)、通称は次郎八、後に助右衛門と改む、蕃山と号し、また息遊軒と号した。 生涯 生い立ち 京都稲荷(現・京都府京都市下京区)の浪人であった父・野尻藤兵衛一利と母・亀女の6人兄弟の長男として生まれる。幼名は左七郎。8歳の時、母方の祖父、熊沢守久の養子となり熊沢姓を名乗ることとなった。 藤樹門下 寛永11年(1634年)池田輝政の女婿であった丹後国宮津藩主京極高広の紹介で、輝政の孫である備前国岡山藩主池田光政の児... |
schema:birthDate | 1619 |
schema:deathDate | 1691 |
schema:description | 学者 |