東京生まれ、幕臣、ジャーナリスト。父は幕府医官。嘉永元年(1848)家業を継ぎ奥医師となる。その後、職を解かれ、5年(1852)に函館に移住。山野の開拓、病院の造成などに力を注ぐ。文久3年(1863)に江戸に戻り、親仏派として外交交渉にあたる。軍艦奉行、外国奉行を務め、慶応3年(1867)フランス派遣。維新後は新政府に仕えず、明治6年(1873)郵便報知新聞に編集主任として入社、随筆類を寄稿した。没後、著述は『匏庵遺稿』(1900)としてまとめられた。
「近代日本人の肖像」より
栗本 鋤雲(くりもと じょうん、文政5年3月10日(1822年5月1日)- 明治30年(1897年)3月6日)は、幕末の幕臣、明治初期の思想家。 名は鯤(こん)。 初名は哲三、のち瑞見。 通称は瀬兵衛(せへえ)といった。 官位は従五位下安芸守。 幕末に外国奉行、勘定奉行、箱館奉行を歴任し、明治以後はジャーナリストとして活躍した。 [経歴] 幕府の典医を務めていた喜多村槐園の三男として生まれる。 母は三木正啓の娘で長谷川宣以の姪。 長兄の喜多村直寛は幕府医学館考証派の重鎮として著名である。 安積艮斎の私塾見山楼を経て、1843年(天保14年)、幕府の学問所である昌平坂学問所に入学し黌試(校試)...
「Wikipedia」より