一条 兼良(いちじょう かねよし)は、室町時代の公卿・古典学者。 名は一般には「かねら」と読まれることが多い。 関白左大臣・一条経嗣の六男。 官位は従一位・摂政関白太政大臣、准三宮。 桃華叟、三関老人、後成恩寺などと称した。 [概説] 病弱であった兄の権大納言・経輔隠居の後を受け応永19年(1412年)元服して家督を継ぐ。 翌年従三位に叙せられて公卿に列し、累進して正長2年(1429年)に左大臣に任ぜられるが、実権は従兄弟の二条持基に握られていた。 永享4年(1432年)には摂政となったが、月余で辞退に追い込まれ、同時に左大臣も辞職を余儀なくされる。 その背景には同年に実施された後花園天皇の...
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