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市河 寛斎(1749-1820)
市河 寛斎(いちかわ かんさい、寛延2年6月16日(1749年7月29日) - 文政3年7月10日(1820年8月18日))は、江戸時代の儒学者で漢詩人。名は世寧、字は子静、嘉祥、号は寛斎、半江、江湖詩老。 概説 江戸生まれとも上野国(いまの群馬県)出身ともいう。父は書家の市河蘭台。幕末の三筆・市河米庵は長子。画家の鏑木雲潭は次男。養父は多胡碑を世に紹介した高橋道斎。 林家に学ぶが、1790年(寛政2年)に寛政異学の禁を批判したため昌平黌を追われ、1791年(寛政3年)から1811年(文化8年)まで富山藩藩校広徳館の教授となった。また掛川藩世子の侍講も務めた。 また、1787年(天明7...
この人物の情報
schema:alternateName | イチカワ カンサイ |
schema:name | 市河 寛斎; 市河寛斎; 河, 世寧; 世寧; 子静; 寛斎 |
schema:abstract | 市河 寛斎(いちかわ かんさい、寛延2年6月16日(1749年7月29日) - 文政3年7月10日(1820年8月18日))は、江戸時代の儒学者で漢詩人。名は世寧、字は子静、嘉祥、号は寛斎、半江、江湖詩老。 概説 江戸生まれとも上野国(いまの群馬県)出身ともいう。父は書家の市河蘭台。幕末の三筆・市河米庵は長子。画家の鏑木雲潭は次男。養父は多胡碑を世に紹介した高橋道斎。 林家に学ぶが、1790年(寛政2年)に寛政異学の禁を批判したため昌平黌を追われ、1791年(寛政3年)から1811年(文化8年)まで富山藩藩校広徳館の教授となった。また掛川藩世子の侍講も務めた。 また、1787年(天明7... |
schema:birthDate | 1749 |
schema:deathDate | 1820 |
schema:description | 学者 |