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藤原 俊成(1114-1204)
藤原 俊成(ふじわら の としなり)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。はじめ勧修寺流・藤原顕頼の猶子となり顕広(あきひろ)を名乗ったが、後に実家の御子左家に戻り、俊成と改名した。法名は釈阿。最終官位は正三位・皇太后宮大夫。『千載和歌集』の撰者として知られる。 生涯 10歳で父と死別し、鳥羽院近臣であった義兄 藤原顕頼の後見を得て国司を歴任したが、位階は18年間従五位下のまま停滞した。天承・長承期(1131~35年)、岳父藤原為忠が主催する2度の「為忠家百首」へ出詠するなど詠作を本格的に始め、保延...
この人物の情報
schema:alternateName | フジワラ トシナリ |
schema:name | 藤原 俊成; 藤原俊成; 釈阿 |
schema:abstract | 藤原 俊成(ふじわら の としなり)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。はじめ勧修寺流・藤原顕頼の猶子となり顕広(あきひろ)を名乗ったが、後に実家の御子左家に戻り、俊成と改名した。法名は釈阿。最終官位は正三位・皇太后宮大夫。『千載和歌集』の撰者として知られる。 生涯 10歳で父と死別し、鳥羽院近臣であった義兄 藤原顕頼の後見を得て国司を歴任したが、位階は18年間従五位下のまま停滞した。天承・長承期(1131~35年)、岳父藤原為忠が主催する2度の「為忠家百首」へ出詠するなど詠作を本格的に始め、保延... |
schema:birthDate | 1114 |
schema:deathDate | 1204 |
schema:description | 貴族 |