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本間 棗軒(1804-1872)
本間 棗軒(ほんま そうけん、文化元年(1804年) - 明治5年2月8日(1872年3月16日))は、江戸時代の医師。初名は資章、後に救。字は和卿、通称玄調。 生涯 常陸国小川村(現在の茨城県小美玉市)に生まれた。父本間玄有と祖父本間玄琢は稽医館の創始者で、養父道偉も医者であり、名医一族の中で育った。17歳のとき、原南陽に入門し、その後、杉田立卿、箕作阮甫、高階枳園、華岡青洲、シーボルトなどに師事した。江戸に帰還し開業。水戸藩主徳川斉昭の侍医となり、天保14年(1843年)には弘道館医学館の教授となった。講義・治療・著述などに活躍し、水戸藩医政の第一線を担った。多くの人命を救ったこと...
この人物の情報
schema:alternateName | ホンマ ソウケン |
schema:name | 本間 棗軒; 本間棗軒; 本間, 玄調; 本間, 救; 救; 和卿; 玄調; 棗軒 |
schema:abstract | 本間 棗軒(ほんま そうけん、文化元年(1804年) - 明治5年2月8日(1872年3月16日))は、江戸時代の医師。初名は資章、後に救。字は和卿、通称玄調。 生涯 常陸国小川村(現在の茨城県小美玉市)に生まれた。父本間玄有と祖父本間玄琢は稽医館の創始者で、養父道偉も医者であり、名医一族の中で育った。17歳のとき、原南陽に入門し、その後、杉田立卿、箕作阮甫、高階枳園、華岡青洲、シーボルトなどに師事した。江戸に帰還し開業。水戸藩主徳川斉昭の侍医となり、天保14年(1843年)には弘道館医学館の教授となった。講義・治療・著述などに活躍し、水戸藩医政の第一線を担った。多くの人命を救ったこと... |
schema:birthDate | 1804 |
schema:deathDate | 1872 |
schema:description | 医師 |