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法霖(1693-1741)
法霖(ほうりん、1693年(元禄6年)- 1741年11月24日(寛保元年10月17日))は、江戸時代中期の浄土真宗本願寺派の僧。日渓法霖、正崇寺法霖とも呼ばれる。西本願寺学林4世能化を務めた。諱は慧琳。号は日渓・松華子。諡は演暢院。 概要 紀伊国海部郡に生まれる。父は佐竹忠蔵。1709年(宝永6年)に17歳で出家し、19歳で法然の『選択本願念仏集』を講義した。1718年(享保3年)26歳の時、本山西本願寺の学林に入門し、第3代能化若霖に師事して副講に任じられ、若霖の自坊、近江国正崇寺(滋賀県日野町)を継ぐ。1731年(享保16年)、華厳宗の鳳潭との論争に際しては、『浄土折衝編』を著し...
この人物の情報
schema:alternateName | ホウリン |
schema:name | 法霖; 日渓; 松花氏; 雑賀 |
schema:abstract | 法霖(ほうりん、1693年(元禄6年)- 1741年11月24日(寛保元年10月17日))は、江戸時代中期の浄土真宗本願寺派の僧。日渓法霖、正崇寺法霖とも呼ばれる。西本願寺学林4世能化を務めた。諱は慧琳。号は日渓・松華子。諡は演暢院。 概要 紀伊国海部郡に生まれる。父は佐竹忠蔵。1709年(宝永6年)に17歳で出家し、19歳で法然の『選択本願念仏集』を講義した。1718年(享保3年)26歳の時、本山西本願寺の学林に入門し、第3代能化若霖に師事して副講に任じられ、若霖の自坊、近江国正崇寺(滋賀県日野町)を継ぐ。1731年(享保16年)、華厳宗の鳳潭との論争に際しては、『浄土折衝編』を著し... |
schema:birthDate | 1693 |
schema:deathDate | 1741 |
schema:description | 僧 |