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樋口 好古(1750-1826)
樋口 好古(ひぐち よしふる)は、江戸時代の武士・農政家。名前については「よしもと」と読む物もある。 略歴 寛延3年(1750年)10月25日、尾張国で樋口又右衛門の子として生まれる。樋口兼光の末裔という。 安永3年(1774年)、浪人していた好古は25歳で尾張藩の勘定方並手代として召し抱えられ、天明元年(1781年)には元方手代、天明3年(1783年)には国方手代となった。この前後に尾張藩の参政(家老)であった人見黍から『三事忠告』の邦訳を任され、天明6年(1786年)に『牧民忠告解』を著した。この際には弟の邦古も共に校正などを行なっている。 寛政元年(1789年)、40歳にして国方...
この人物の情報
schema:alternateName | ヒグチ コウコ |
schema:name | 樋口 好古; 樋口好古; 好古; 信夫; 知足斎 |
schema:abstract | 樋口 好古(ひぐち よしふる)は、江戸時代の武士・農政家。名前については「よしもと」と読む物もある。 略歴 寛延3年(1750年)10月25日、尾張国で樋口又右衛門の子として生まれる。樋口兼光の末裔という。 安永3年(1774年)、浪人していた好古は25歳で尾張藩の勘定方並手代として召し抱えられ、天明元年(1781年)には元方手代、天明3年(1783年)には国方手代となった。この前後に尾張藩の参政(家老)であった人見黍から『三事忠告』の邦訳を任され、天明6年(1786年)に『牧民忠告解』を著した。この際には弟の邦古も共に校正などを行なっている。 寛政元年(1789年)、40歳にして国方... |
schema:birthDate | 1750 |
schema:deathDate | 1826 |