羽太 正養(はぶと まさやす、宝暦2年(1752年) - 文化11年1月22日(1814年3月13日))は、江戸時代の旗本、箱館奉行、松前奉行。 通称は、弥太郎、左近、主膳、庄左衛門。 北海道千歳市の名付け親。 [略歴] 宝暦2年(1752年)、旗本・羽太正香の子として産まれる。 母は横地長救の娘。 明和5年(1768年)、将軍・徳川家治に御目見。 安永5年(1776年)、家督を継ぐ。 安永9年(1780年)、大番に属する。 寛政元年(1789年)、御蔵奉行となる。 寛政5年(1793年)、田安家用人となり布衣着用を許される。 寛政8年(1796年)に西丸目付、次いで本丸目付となる。 [略...
「Wikipedia」より