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青山 延寿(1820-1906)
青山 延寿(あおやま のぶとし、1820年(文政3年) - 1906年(明治39年)11月)は水戸藩士で儒学者・史学者。藩校である弘道館の教授頭取代理、彰考館権総裁代役を務めた。字は季卿、通称は量四郎、鉄槍・鉄槍斎と号した。婦人運動家・山川菊栄の外祖父。 経歴 1820年(文政3年)、水戸藩士・青山延于の四男(末子)として水戸城下田見小路(現在の水戸市北見町)に生まれる。長じて父に従い江戸に滞在し、古賀侗庵のもとで学んだ。その後水戸弘道館に出仕し、1843年(天保14年)には訓導となった。1846年(弘化3年)には安政の大獄で永蟄居となった主君・徳川斉昭の雪冤を訴えるため紀州侯に上書を...
この人物の情報
schema:alternateName | アオヤマ エンジュ |
schema:name | 青山 延寿; 青山延寿; 青山, 鉄槍; 青山, 量四郎; 青山, 季卿 |
schema:abstract | 青山 延寿(あおやま のぶとし、1820年(文政3年) - 1906年(明治39年)11月)は水戸藩士で儒学者・史学者。藩校である弘道館の教授頭取代理、彰考館権総裁代役を務めた。字は季卿、通称は量四郎、鉄槍・鉄槍斎と号した。婦人運動家・山川菊栄の外祖父。 経歴 1820年(文政3年)、水戸藩士・青山延于の四男(末子)として水戸城下田見小路(現在の水戸市北見町)に生まれる。長じて父に従い江戸に滞在し、古賀侗庵のもとで学んだ。その後水戸弘道館に出仕し、1843年(天保14年)には訓導となった。1846年(弘化3年)には安政の大獄で永蟄居となった主君・徳川斉昭の雪冤を訴えるため紀州侯に上書を... |
schema:birthDate | 1820 |
schema:deathDate | 1906 |
schema:description | 学者 |