石川 欣一   (1895-1959)

1895年3月17日東京に生まれ、東京大学英文科を中退し、1919年プリンストン大学を卒業する。ジェイムズ・M・バリ著「マイレディ・ニコティン」、モース著「日本その日その日」、ジョセフ・C・グルー著「日記・公文書・私文書に基く記録」、ハーシー著「ヒロシマ」、パールバック著「郷土」、ヴァン・ワィック・ブルックス著「花ひらくニュー・イングランド」「アメリカ文学史」「自信の歳月」、フランク・ギブニイ著「日本の五人の紳士」、ハーディ著「テス」などを訳し翻訳家として活躍。また、大阪毎日新聞、東京日日新聞特派員としても活躍。また、自ら日本パイプクラブ会長と名乗るぐらいの愛煙家で煙草に関するエッセイも多い。さらに、1952年小津安二郎監督の「お茶漬けの味」に大川社長役で出演している。一方同年東京ライオンズクラブ初代会長になり、1959年6月3日第42回国際大会で国際理事に就任するも、同年8月4日急逝。(川山)Wikipedia「石川欣一 (ジャーナリスト)

「青空文庫」より

石川 欣一(いしかわ きんいち、1895年(明治28年)3月17日 - 1959年(昭和34年)8月4日)は、ジャーナリスト、随筆家、翻訳家。 おもに毎日新聞社に屬した。 [生涯] 東京に生れた。 父は動物学者「石川千代松」、母は「貞」。 彼女は法学者「箕作麟祥」の娘であった。 1906年(明治39年)に東京高等師範学校附属小学校尋常科(現・筑波大学附属小学校)、1913年(大正2年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。 1918年(大正7年)(23歳)、東京帝国大学英文科から、アメリカのプリンストン大学に転じ、1920年卒業して、大阪毎日新聞社の学芸部員...

「Wikipedia」より

この人物の情報

人物名ヨミ イシカワ キンイチ
人物別名 石川欣一
生年 1895年
没年 1959年

本の一覧

タイトル 著作者等 出版元 刊行年月
ヒロシマ ジョン・ハーシー 著 ; 石川欣一, 谷本清, 明田川融 訳 法政大学出版局
2014.6
日本その日その日 エドワード・シルヴェスター・モース 著 ; 石川欣一 訳 講談社
2013.6
滞日十年 ジョセフ・C.グルー 著 ; 石川欣一 訳 筑摩書房
2011.9
滞日十年. グルー 著 ; 石川欣一 訳 ジョセフ・C 筑摩書房
2011.10
日本その日その日 E.S. モース [著] ; 石川欣一 訳 平凡社
2004.9
ヒロシマ ジョン・ハーシー 著 ; 石川欣一, 谷本清, 明田川融 訳 法政大学出版局
2003.7
比島投降記 : ある新聞記者の見た敗戦 石川欣一 著 中央公論社
1995.2
可愛い山 石川欣一 著 白水社
1987.6
アメリカ文学史 ヴァン・ウィック・ブルックス 原著 ; 石川欣一 訳 名著普及会
1987.10
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