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奥宮 健之(1857-1911)
奥宮 健之(おくのみや けんし、1857年12月27日(安政4年11月12日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、自由民権運動で活躍した日本の社会運動家。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人であった。 経歴 土佐国土佐郡布師田村に生まれる。父の奥宮慥斎(ぞうさい、1811-1877)は、藩内一流の陽明学者で山内容堂の侍講であった。健之は11、12歳ころ東京に出て、英学を修めた。明治14、15年頃、三菱会社に入ったが、自由党が結党されると会社をやめ入党した。馬場辰猪とともに土佐の二俊秀と称された。 1882年(明治15年)、嚶鳴会に対決するものとして、馬場、大石正巳、西...
この人物の情報
schema:alternateName | オクノミヤ ケンシ |
schema:name | 奥宮 健之; 奥宮健之 |
schema:abstract | 奥宮 健之(おくのみや けんし、1857年12月27日(安政4年11月12日) - 1911年(明治44年)1月24日)は、自由民権運動で活躍した日本の社会運動家。幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人であった。 経歴 土佐国土佐郡布師田村に生まれる。父の奥宮慥斎(ぞうさい、1811-1877)は、藩内一流の陽明学者で山内容堂の侍講であった。健之は11、12歳ころ東京に出て、英学を修めた。明治14、15年頃、三菱会社に入ったが、自由党が結党されると会社をやめ入党した。馬場辰猪とともに土佐の二俊秀と称された。 1882年(明治15年)、嚶鳴会に対決するものとして、馬場、大石正巳、西... |
schema:birthDate | 1857 |
schema:deathDate | 1911 |
schema:description | 社会運動家 |