小俣蠖庵(おまた かくあん、男性、明和2年(1765年) - 天保8年7月9日(1837年8月9日))は、江戸時代中期の日本の篆刻家・書家・画家である。 名は孟寛のち孟奬、字を子猛のちに名六と改める。 号は蠖庵の他に栗斎、晩年には眯翁とした。 本姓は藤原氏。 自ら修して符と称している。 通称次郎兵衛。 家名を襲名し7代目茂四郎となる。 伊勢の人。 [略伝] 明和2年、伊勢山田上中之郷字河崎世古で生まれる。 代々、豊受大神宮の神楽職を任ぜられ、また家業で味噌を商いした。 書画骨董を好み、富裕であったので名品に出会えば高額でも購入し、数々の品を蒐集。 鑑識にも精しかった。 書・画ともに巧みで、画...
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