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宇都宮 遯庵(1633-1707)
宇都宮 遯庵(うつのみや とんあん)は、江戸時代の儒学者。名は由的。号は遯庵の他に頑拙。また、宇都宮三近、宇都宮熊的とも呼ばれる。 生涯 周防国岩国で生まれる。父は岩国領主吉川氏に奏者番(家禄300石)として仕えていた。祖父の宇都宮杢之允は後に錦帯橋と呼ばれる橋の建設の指揮を採っていた普請奉行であった。遯庵も岩国領3代領主・吉川広嘉に仕えていたが、17歳の頃、広嘉の命により京都に上って、松永尺五に師事。儒学程朱学派に属して学んだ。木下順庵・安東省菴・宇都宮遯庵の3人で、尺五学派の三庵と称された。 明暦3年(1657年)に帰郷して、朱子学を広めたが、延宝3年(1675年)と延宝8年(16...
この人物の情報
schema:alternateName | ウツノミヤ トンアン |
schema:name | 宇都宮 遯庵; 宇都宮遯庵; 宇都宮, 由的; 三近; 遁庵; 頑拙 |
schema:abstract | 宇都宮 遯庵(うつのみや とんあん)は、江戸時代の儒学者。名は由的。号は遯庵の他に頑拙。また、宇都宮三近、宇都宮熊的とも呼ばれる。 生涯 周防国岩国で生まれる。父は岩国領主吉川氏に奏者番(家禄300石)として仕えていた。祖父の宇都宮杢之允は後に錦帯橋と呼ばれる橋の建設の指揮を採っていた普請奉行であった。遯庵も岩国領3代領主・吉川広嘉に仕えていたが、17歳の頃、広嘉の命により京都に上って、松永尺五に師事。儒学程朱学派に属して学んだ。木下順庵・安東省菴・宇都宮遯庵の3人で、尺五学派の三庵と称された。 明暦3年(1657年)に帰郷して、朱子学を広めたが、延宝3年(1675年)と延宝8年(16... |
schema:birthDate | 1633 |
schema:deathDate | 1707 |
schema:description | 学者 |