条野 採菊(じょうの さいぎく、1832年9月24日(天保3年9月1日) - 1902年(明治35年)1月24日))は、幕末から明治中期の、東京の、戯作者・ジャーナリスト・実業家・作家・劇評家。 本名は条野伝平。 号に山々亭有人(さんさんていありんど)・採菊散人・朧月亭・朧月亭有人・弄月亭有人など。 鏑木清方の父。 條野とも書く。 [生涯] 家は日本橋長谷川町(現・日本橋堀留町2丁目)の地本問屋だった。 本郷三丁目の呉服屋伊豆倉の番頭を務めるかたわら、17歳頃から五代目川柳こと水谷緑亭に弟子入りし、頭角をあらわした。 伊豆倉の顧客の老中阿部正弘に文才を認められて可愛がられ、また、年長の戯作者...
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