川田 甕江(かわた/かわだ おうこう、文政13年6月13日(1830年8月1日) - 明治29年(1896年)2月2日)は、幕末・明治期の漢学者。 本名は剛(たけし)であるが、これは師である山田方谷の命名であり、それ以前は竹次郎と名乗っていた。 号は毅卿(きけい)。 [山田方谷の門人] 備中国浅口郡に生まれる。 父は同国玉島の回船問屋であったが幼いうちに両親に先立たれて没落し辛い少年時代を過ごす。 玉島で儒学者鎌田玄渓に学んだが、玄渓は甕江の才能に気付いて自ら「師に足らず」と述べて江戸への遊学を勧めた。 江戸では佐藤一斎らの下で学びながら、学資のために蔵書を売り、家庭教師をするなどの苦学の末...
「Wikipedia」より