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松岡 調(1830-1904)
松岡 調(まつおか みつぎ、文政13年7月2日(1830年8月19日)- 1904年(明治37年)12月17日)は、幕末・明治期の神官・国学者。幼名を米三(米象)、諱を春礿(はるとき)。 経歴 高松藩藩士佐野正長の次男として生まれる。幼少より学問を好み、友安三冬(良介)から国学、中村尚輔から和歌、森良敬から絵画を学んだ。嘉永3年(1850年)、多和神社社家である松岡寛房の養子となり、多和神社の祀官となる。慶応2年(1866年)、養父の後を継いで同社の神主となる。明治2年(1869年)、高松藩の藩校の皇学寮の教授として招かれ、同年藩が新政府の神仏分離令を実施するために松岡らに讃岐国の寺社...
この人物の情報
schema:alternateName | マツオカ ミツギ |
schema:name | 松岡 調; 松岡調; 松岡, 御調; 信正; 香木舎 |
schema:abstract | 松岡 調(まつおか みつぎ、文政13年7月2日(1830年8月19日)- 1904年(明治37年)12月17日)は、幕末・明治期の神官・国学者。幼名を米三(米象)、諱を春礿(はるとき)。 経歴 高松藩藩士佐野正長の次男として生まれる。幼少より学問を好み、友安三冬(良介)から国学、中村尚輔から和歌、森良敬から絵画を学んだ。嘉永3年(1850年)、多和神社社家である松岡寛房の養子となり、多和神社の祀官となる。慶応2年(1866年)、養父の後を継いで同社の神主となる。明治2年(1869年)、高松藩の藩校の皇学寮の教授として招かれ、同年藩が新政府の神仏分離令を実施するために松岡らに讃岐国の寺社... |
schema:birthDate | 1830 |
schema:deathDate | 1904 |
schema:description | 学者 |