蕗谷 虹児(ふきや こうじ、蕗谷 虹兒、1898年(明治31年)12月2日 - 1979年(昭和54年)5月6日)は、挿絵画家、詩人。 [人物] 1898年(明治31年)新潟県新発田町(現新発田市)に生まれる。 本名は一男といった。 母親は新発田町の湯屋の看板娘で京風の美人と伝えられる。 新聞記者と駆け落ちして出産したが、貧困の末、蕗谷が12歳の時に27歳の若さで死去した。 母への追慕の情が、後の蕗谷の作風に影響を与えたと言われる。 母親の死により家族は離散。 新潟市の印刷会社に丁稚奉公、絵の勉強をしながら夜学に通う。 1912年(大正元年)貧しいながらも恵まれた絵の才能が新潟市長の目にとま...
「Wikipedia」より