太田 光凞(おおた みつひろ、1874年 - 1939年10月14日)は、日本の実業家。 京阪電気鉄道社長、会長などを務めた。 [来歴] 山口県出身。 1898年(明治31年)東京帝国大学法科法英科を卒業後、鉄道省に奉職する。 京阪電気鉄道設立(1906年)時の専務取締役渡辺嘉一より鉄道省からの人材斡旋を依頼されたのをきっかけに、実業界を目指す第一歩として1907年(明治40年)自らが鉄道省を辞して京阪電気鉄道に入社し、庶務課長に就任。 建設中だった京阪本線の線路選定や用地買収等一切の事務を担当した。 開業後も同社の実務を切り回し、1910年(明治43年)取締役就任、1911年(明治44年)...
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