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イエスの招き : キリスト教の修錬 第1部,第2部
キエルケゴール 著 ; 井上良雄 訳
[目次]
- 標題
- 目次
- 編纂者の序 / 9
- 第一部 「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ。われ汝等を休ません」。 / 11
- 祈願 / 13
- 招待 / 15
- 止れ / 38
- 一
- a. あの招きの御言葉を語り給うたのは誰か。 / 40
- b. 人はキリストについて、歴史から何事かを知り得るか。 / 44
- c. 人は、キリストが神であり給うたといふことを、歴史から證明し得るか。 / 45
- d. キリストの生の諸結果は、その生よりも重大か。 / 56
- e. キリストが經驗し給うたのと同じ扱ひをその生において、同時代の人々から經驗する人々と、キリストとの比較。 / 58
- f. キリスト教界の不幸。 / 64
- 二 招待者 / 68
- a. 彼の生の第一齣 / 75
- b. 彼の生の第二齣 / 101
- 三 招待と招待者 / 109
- 四 絶對的なるものとしてのキリスト教。 キリストとの同時性。 / 120
- 教訓 / 130
- 第二部 「我に躓かぬ者は幸福なり」。 / 139
- 樂音整調 / 141
- この叙述の内容の簡單な摘要 / 150
- 叙述 / 154
- A キリストとしてのキリスト(神人)には無關係で、既存のものに反對する一人の「完全かつ正」しい、單獨者としてのキリストに關する、躓きの可能性。 / 154
- B (一單獨者が神であるかの如くに語り、或は行動し、われは神なりと自稱する)尊貴への方向における-從つて、神人といふ複合體中の神といふ限定への方向における、本質的な躓きの可能性。 / 171
- C 神と自稱する者が、卑しく、憐れな、苦しめる者として-遂には、無力な者として現れるといふ、卑賤への方向における、本質的な躓きの可能性。 / 188
- 附録一 / 195
- 附録二 / 196
- BとCとの結語 / 225
- 「躓き」についての-即ち、本質的な躓きについての、樣々な思惟限定 / 227
- 一 神人は「徴し」である。 / 229
- 二 僕の貌は識別不可能(微行)である。 / 235
- 三 直接的傳達の不可能性。 / 246
- 四 直接的傳達の不可能性は、キリストにあつては、苦難の祕義である。 / 253
- 五 躓きの可能性は直接的傳達の拒否である。 / 258
- 六 直接的傳達を拒否するといふことは、「信仰」を要求するといふことである。 / 260
- 七 神人は信仰の対象である。その理由は、神人が躓きの可能性であり給ふからである。 / 266
「国立国会図書館デジタルコレクション」より
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書名 |
イエスの招き : キリスト教の修錬 第1部,第2部 |
著作者等 |
Kierkegaard, Søren
井上 良雄
キエルケゴール
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書名ヨミ |
イエス ノ マネキ : キリストキョウ ノ シュウレン ダイ 1ブ ダイ 2ブ |
シリーズ名 |
哲学選書
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出版元 |
角川書店 |
刊行年月 |
1948 |
ページ数 |
280p |
大きさ |
19cm |
NCID |
BN15478333
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全国書誌番号
|
48000402
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言語 |
日本語 |
原文言語 |
ドイツ語 |
出版国 |
日本 |
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