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人間論
エルヴェシウス 著 ; 根岸国孝 訳
[目次]
- 目次
- 序
- 緒論
- I 人間論 第一巻
- 第一章 だれも同じ教育を受けてはいない / p23
- 第二章 教育のはじまる瞬間について / p24
- 第三章 幼年期の教師について / p25
- 第四章 事物がわれわれに与える異なった印象について / p27
- 第五章 学校教育について / p29
- 第六章 家庭教育について / p30
- 第七章 青年の教育について / p31
- 第八章 傑人をしばしば世に出す偶然について / p34
- 第九章 教育上の掟の矛盾の主要な原因について / p39
- 第十章 少年期に受ける矛盾した観念や掟の例 / p43
- 第十一章 偽宗教について / p47
- 第十二章 カトリック教は人間の作った制度である / p48
- 第十三章 世界的宗教について / p50
- 第十四章 宗教に国民的幸福を破壊させない条件について / p52
- 第十五章 偽宗教のうちでどれが社会の幸福にとってもっとも害が少なかったか / p55
- II 人間論 第二巻
- 第一章 われわれのすべての観念は感覚器官を通じてわれわれに入る、その結果精神は人体組織の精巧の差の結果とみなされてきた / p60
- 第二章 精神と魂との相違 / p63
- 第三章 精神が働きかける事物について / p70
- 第四章 精神はいかに作用するか / p70
- 第五章 抽象的観念、集合的観念などの比較から生ずる判断について / p72
- 第六章 関心がなければ事物相互の比較はない / p76
- 第七章 肉体的感性がわれわれの行為、思惟、情念と社交性の唯一の原因である / p79
- 第九章 拙者『精神論』の認めた諸原理の弁明 / p85
- 第十章感官の快楽が国民が気がつかない場合でさえも、かれらのもっとも強力なる原動力となっていること / p88
- 第十一章 記憶の不等なる拡がりについて / p90
- 第十二章 感覚器官の不等な完成度について / p93
- 第十三章 感じ方の相違について / p98
- 第十四章 われわれの感覚の間に認められる些細な相違は、精神に対し何らの影響ももたない / p102
- 第十五章 精神について / p104
- 第十九章 語の不明確な意義を確定するための唯一の手段について / p106
- 第二十三章 事実に還元されない真理はない / p108
- 第二十四章 既知の真理を把握するに必要な精神は未知の真理に到達するに十分である / p111
- III 人間論 第五巻
- 第一章 精神の不等性の原因についての『エミール』の著者の矛盾 / p114
- 第二章 精神と才能について / p118
- 第三章 揺籃時代の人間の善良性について / p120
- 第四章 自然人は残酷であるはずだ / p126
- 第五章 ルソー氏は代わる代わる教育を有益または無益と信じている / p128
- 第六章 ルソー氏のいくつかの見解は公教育に適切に利用できることについて / p133
- 第七章 青年に対する中年のいわゆる優越について / p137
- 第八章 無知に対してルソー氏が与えた賛辞について / p139
- 第九章 どのような動機がルソー氏を無知の弁護者になるように勧めえたのか / p143
- 第十章 帝国の衰微の諸原因について / p145
- 第十一章 専制主義国における芸術・学問の開発はその崩壊を遅らせる / p149
- IV 人間論 第十巻
- 第一章 教育はすべてを行ないうる / p152
- 第二章 王子の教育について / p155
- 第三章 公教育の家庭教育に対する利点 / p157
- 第四章 体育についての一般的観念 / p159
- 第五章 いかなる時といかなる場合に人間は道徳教育を受けるようになるか / p160
- 第六章 それぞれの職業に関する教育について / p161
- 第七章 人間の道徳教育について / p164
- 第八章 司祭の利益、人間の道徳教育の完成に対する第一の障害 / p173
- 第九章 大部分の政体の不完全さ、人間の道徳教育の改善への第二の障害 / p175
- 第十章 教育の道徳的部分におけるあらゆる改革は法律および統治形態における改革を想定する / p178
- 解説 / p181
- 人間論 総目次 / p194
「国立国会図書館デジタルコレクション」より
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