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火の海の墓標 : ある<アジア主義者>の流転と帰結
後藤乾一 著
[目次]
- 1 彷徨の少年時代(丙午の生まれ
- カトリック入信
- 小学校入学
- 中学校入学と中退)
- 2 渡南への道(渡南の契機
- からゆきさん
- トコ・ジュパンの登場
- 南洋協会の成立
- 竜夫、パレンバンへ
- 南洋邦人社会の二重性
- 一等国民の目
- 思索を糧を求めて
- 日本人社会への疑問
- インドネシア語への親近感
- 当時のインドネシア民族運動
- "花の都"バンドゥンへ
- 弟直大の死
- エロス写真館に勤務
- バス車掌となる
- イティとの結婚生活)
- 3 「国策」と「アジア解放」のはざまで(祖国の動向への関心
- 一九三〇年代の親日感情
- 日本の南洋運動
- 第一次日蘭印会商
- 竜夫、新聞記者となる
- 南進政策の登場
- 「日蘭商業新聞」
- 蘭印政庁の対日警戒
- "親日派"の民族主義者-スバルジョとタムリン
- 東京での竜夫
- 風雲急を告げる国際情勢
- 岩田愛之助グループの活動
- 大日本回教協会の発足
- 東印度共栄同士会の活動
- 佐藤信英の活動)
- 4 日本軍政をみつめて(第十六軍宣伝班員となる
- インドネシアの好意的反応
- 軍政のホンネと市来の憤懣
- 『赤道報』と『うなばら』
- 市来とインドネシア語
- 二つの軍政観
- 市来と「スメラ」思想
- 大東亜会議とインドネシア
- ジャワ郷土防衛義勇軍と市来
- 化物屋敷に住んで
- 随筆「おいしい食物」
- 「東印度」の独立容認
- 義勇軍の反日運動
- スカルノのパンチャ・ダルマ演説
- 運命の年)
- 5 アブドゥル・ラフマン・イチキの流転と帰結("敗戦"と義勇軍解散
- 八月十五日以後の市来
- インドネシア独立軍で
- 同志・吉住留五郎死す
- 特別ゲリラ隊の誕生
- アブドゥル・ラフマン・イチキの死
- 「命短き桜花」
- エピローグ)
「BOOKデータベース」より
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書名 |
火の海の墓標 : ある<アジア主義者>の流転と帰結 |
著作者等 |
後藤 乾一
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書名ヨミ |
ヒ ノ ウミ ノ ボヒョウ |
書名別名 |
Hi no umi no bohyo |
出版元 |
時事通信社 |
刊行年月 |
1977.3 |
版表示 |
オンディマンド版 |
ページ数 |
220p |
大きさ |
20cm |
ISBN |
978-4-7887-0675-0
|
NCID |
BA83295506
BN01358005
BN10564008
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全国書誌番号
|
77012914
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言語 |
日本語 |
出版国 |
日本 |
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