『環海異聞』は日本人としてはじめて世界を一周した漂流者の見聞録である。厳密にいえばロシア人が世界一周を試みる壮途に、いわば相乗りのかたちで、止むなく一周したものである。これについやした時間は約2年ほどであるが、したがって、それ以前、ロシアに約10年ほど滞在していたわけで、『環海異聞』の多くはロシアでの見聞録になっている。したがってこれを日・魯交渉史の主要な文献と位置づける方がまず妥当する。しかし録したのは漂流民自身ではなく、蘭学者の大槻玄沢・志村弘強である。したがって厳密には見聞録ではなく、見聞の聞書きである。本書は、鎖国下の日本人の海外知識の系譜の一端として位置づけることができると思う。漂流民の見聞自体,漂流記としての価値が問われる文献でもある。さらに言語のうえからは日魯の交渉史のうえで、いかに日本人がロシア語をしるようになったか、ロシア語に接した日本人の歴史の1ページとなる。これは裏返えせば、ロシア人がいかにして日本語をしるようになったか、言語伝達、学習の相互交渉史でもある。いうまでもなく、百十余を数える挿絵は、本書の一大特色で、間接描写ではあるが、18、9世紀のロシアの風俗、生活、動植物、さらに諸外国のそれを描いた絵巻物の一種と評することもできよう。
「BOOKデータベース」より