江戸時代、喧嘩をした者は、喧嘩両成敗法により両成敗になったという通念は、従来「理非を論ぜず」を「理由の如何を問わず」と解釈されてきたことによる。しかし、実際の裁判記録では、理不尽な実力行使に対する自己防衛の場合は無罪とされることも多く、異なる身分の喧嘩では武士により重い罰が与えられていた。一方、百姓・町人に対する武士の横暴として見られがちな無礼討ちは、武士にとっては名誉と身分秩序を守るための義務であった。武士による喧嘩・敵討・無礼討ちの豊富な事例を通して、近世社会の身分秩序意識、「家」の名誉、武士が考える武士道を再考する。
「BOOKデータベース」より