信玄は、二十一歳で武田家の当主になって以来、一見、上洛には遠回りとも思える北進の戦略を一貫して取りつづけ、川中島では難敵・上杉謙信と五度も戦った。これを断念して南進策に切り替えたのは、実に最晩年の四十八歳のときだった。ここまで北にこだわったのはなぜなのか?歴史小説家の安部龍太郎氏は、武田軍団が辿った道を年代順に訪ね、一つの仮説を検証する。玄信の狙いは、同族の奥州南部氏や若狭武田氏と連携しながら、日本海ルートで都に迫ることにあったのではないか-。戦国最強の武将の真の野望に迫る、渾身の歴史紀行文。
「BOOKデータベース」より