遺伝子操作や環境問題、グローバル化などの、まったく新しい問題群と直面せざるをえないわれわれが目指すべきことは、近代の成果を基礎にしたうえでの近代批判であり、解決困難な問題を「前近代」に投げ込んで宗教や共同体に回帰したり、「心」や「人間性」などの、それ自身が近代精神の産物であるような実体化された言葉の操作で誤魔化したりすることではないはずである。現代のような時代であるからこそ、道徳に可能なこととそうでないこととの区別を明確にし、道徳という概念が引きずっている枷から社会と人間を解き放つことが求められねばならない。これはまた、現代社会の中で道徳の場所をそれにふさわしい形で確保することでもある。本書ではこのような理論的営みを、デュルケームからユルゲン・ハバーマスとニクラス・ルーマンへという方向を念頭に置いたうえで幾つかの角度から考察し、道徳の持つ可能性について検討を加えたい。本書の課題は、「社会は道徳的存在である」という前提を疑うことにある。全体は三部構成になっており、第一部では道徳を、第二部では公共性を、第三部では社会理論の規範主義的理論構成を扱う。三つの部分はそれぞれ相対的に独立したまとまりを持った論考であるが、全体の主題は「道徳」である。
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