佐藤洋一郎 著
縄文遺跡から次々に見つかるイネの痕跡は、この時代、現代の水稲(温帯ジャポニカ)とは異なる熱帯ジャポニカの稲作が、多様性溢れる方法で営まれていたことを物語る。弥生時代に水稲が渡来した後も、水田稲作は一気には普及しなかった。日本人が稲作にもつ「見渡す限りの水田」というイメージは、近世以降推し進められた画一化の結果であることを明らかにし、縄文稲作の多様性がもつ意味を、今日的な視点でとらえなおす。
「BOOKデータベース」より
[目次]
情報を取得できませんでした。
件が連想されています
ページトップへ