主客対置の呪縛から解き放たれれば、これは主観に映じた観相と解釈できる。主観のいかんと関わりない客観的世界があるとするデカルト的近代の思想の堆積から離れ、情念的、情感的に自他通底する「天地有情」の世界を模索する。その最晩年に認識論から転回し、「世界は感情的であり、自分の心の中の感情も、世界全体の感情の一つの前景にすぎない」ことを見いだした大森荘蔵、心の深部にある根源的なものを求めて自らの魂の帰りつく道を探しつづけた森有正。二人の先達の思索を再評価し、過去の情念から立ち上がる"天地有情"の観念と世界構造を考察する哲学の試み。
「BOOKデータベース」より