伊藤喜良 著
足利義満の評価はさまざまである。当時は最大の権力者として「鹿苑天皇(太上天皇)」などと呼ばれたりしており、一方では明皇帝とのあいだに「臣従関係」(冊封関係)を結んだりして、当時の知識人から批判を受けている。現在も義満は天皇位を簒奪しようとしたのではないかとみなす研究者もおり、かまびすしい。ここでは、公武権力の頂点をきわめていく義満の行動を中心に、多少の評価を交えながら、その実像に迫っていきたい。
「BOOKデータベース」より
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