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幼児の宗教心の目ざめ
イー・イー・アール・マンホード 著 ; 加藤常吉 訳
[目次]
- 標題
- 目次
- 緖論 / 1
- 子供の心の發達の一部分として見た宗敎の發生の硏究
- 子供の宗敎に對する最初の能力
- 子供に宗敎を敎へる人々の特に備へなければならない能力の必要
- 子供の宗敎生活に就ての定つた段階
- 子供の宗敎に關する基本的要素
- キリスト・イエスの中心的態度
- 第一章 子供の神に就ての最初の知識 / 7
- 嬰兒の心の狀態
- 經驗の繰返し
- 記憶と徐々に發達する認識
- 知識の遲い發達(イ)子供の住ふ世界に就ての(ロ)見えざる世界に就ての
- 他の知識と比較した子供の神の知識
- 母の祈の感化
- 幼兒期の他の宗敎的感化
- 見えざる神の實在の觀念の發達
- 神に就て單に語ることが神を知らせる敎育でない
- 神の知識と愛との發達に時間を斟酌しなければ重要性
- 第二章 子供の最初の祈 / 20
- 祈とは單に物を要求するのでなく見えざる神と交ることである
- 祈に準備の必要なること
- 何歲から子供を祈らしたらよいか
- その子供の性質によつて歲は異る
- 非想像的子供
- 非情操的子供
- 利己的子供
- 神經性的子供
- 强制は絕對に避けなければならない
- 祈に形式の危險
- 自己批判の必要
- 第三章 子供に起る最初の疑問 / 34
- 幼兒の銳い想像力
- 推理の能力が徐々に發達する
- 子供の立場と大人の立場との差異
- 大人が子供を理解する必要がある
- 疑問に對して答へる場合子供の心に納得するやうに努めること
- 子供は「神樣を誰が造つたか」「神樣の靈とは何か」「なぜ神樣のお聲を聞くことができないか」「なぜ神樣を見ることができないか」のやうな質問をする
- 宗敎々育に美しい物語が必要
- 第四章 發生する知識 / 55
- 創造の過程を觀察し、了解して神が創造者であることを知る
- 善くならうとする努力のうちに神が善の源であることを知る
- 聖い勵ましが自身に起つてくる
- 自己の活動を通して發達する
- 私共の敎育法は子供の日常の經驗するもので批判される
- 第五章 奉仕の訓練 / 74
- 子供の善惡に就ての知識の發生
- 善の要求の芽生と道德的觀念の芽生
- 敎訓の位置
- 外部的强制と内部的幻想
- 内部に發生する神の力の實感
- 子供の生活での愛の感化
- 愛によつて起る柔順たらんとする願
- 神の愛と神への柔順
- 愛はそれ自體奉仕によつて表明さるべきである
- 第六章 學校生活(卽ち更に廣い世界の) / 99
- 子供の信仰は更に廣い生活より起る知識によつて試みられる
- 靑年期に增し加はる純良さ
- 人生の謎
- 理性の强さも人格的努力によつて完きものとなる
- 悅びは困難を全く制服した時に得られるものであり、それら反して生半可な努力は疲れと失望とを招くものである
- 困難に對する子供の態度
- 理解と同情の發達
- 世の中の迷に對する子供の答は成人したものゝ行爲に縣るものである
- 家庭に於けると同じやうに學校に於て理想主義の必要あり
- 相互扶助の精神を養ふに特別よき機會は學校生活から與へられるものである
- 學校の遊戯、交際、野營
- 學校の課業に於ける協調
- ボウイスカウトとガアルグアイドムーブメント
- 僚友愛の精神の發展のうちに實際的宗敎が倣はれる
- 第七章 信仰の喚起 / 125
- 悲しみは失落を與へ、失望はは更に悲しみを與へる
- 人生の哀感
- 人生のゲームと學校のゲーム
- 人間意志による一部分の活動
- 眞の幸福は正しいことを行ふ欣びと自由とにあり-人生の迷の解答
- 神存在の實習
- 宗敎生活に於ける習慣の重要性
- 習慣の必要の場合の敎訓の必要
- 然し敎訓も自己を整へるものであらねばならない
- 子供の宗敎生活に及ぼす私共自身の宗敎生活の感化
- 神と偕に活動する
「国立国会図書館デジタルコレクション」より
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