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社会宗教としての仏教
浅野研真 著
[目次]
- 標題
- 目次
- 第1部 非常時宗敎を語る
- 非常時宗敎を語る / 5
- 一 敎家の面目果して何處にありや / 5
- 二 佛敎卍字軍 / 7
- 三 ナチス聖書を廢す / 9
- 四 佐田介石と現代(上) / 11
- 五 佐田介石と現代(下) / 13
- 六 宗敎と平和運動 / 15
- 佛敎界に與ふ / 18
- 一 感激なき佛敎界 / 18
- 二 佛祖の行履に還れ / 20
- 三 舊套を捨離せよ / 22
- 大乘佛敎と社會實踐 / 24
- 序説 現代の社會不安 / 24
- 本論 大乘佛敎の社會實踐 / 25
- 結び 佛祖の行履に倣へ! / 38
- 敎團のあるべきやう / 40
- 佛敎の時代性 / 50
- 佛敎の地域性 / 54
- 花まつり小感 / 59
- 社會の動き・宗敎の動き / 63
- プロローグ / 63
- コーランの現代化 / 63
- スペインの寺院破却 / 64
- 昭和の寺子屋 / 64
- 絕對禁酒の村 / 66
- 菜食主義者の國際集會 / 67
- ソヴエートの佛敎 / 68
- テクノクラシー / 69
- 白色インターナシヨナルの宣言 / 70
- ナチスに壓殺されたカトリツク中央黨 / 74
- 第2部 イデオロギーは惱む
- イデオロギーは惱む / 85
- 科學の彼方に宗敎 / 93
- 「轉向」か「本來の面目」か / 97
- フアツシヨ管見 / 105
- 自殺時代來る / 109
- 一 自殺の頻出 / 109
- 二 自殺の宗敎性 / 110
- 三 自殺者の個性 / 111
- 四 芥川龍之介と佛敎の自殺觀 / 113
- 五 佛敎の自殺否定 / 114
- 六 平安末期の自殺と佛敎 / 115
- 七 親鸞の自殺觀 / 117
- 八 自殺の擊滅法 / 118
- 自殺時代と大乘佛敎 / 120
- マルクス主義と大乘佛敎 / 130
- 佛敎徒と吉日良辰 / 141
- 第3部 社會的危機の諸相
- 缺食兒童の問題 / 149
- 缺食兒童對策 / 178
- 缺食兒童再論 / 180
- 反機械十字軍 / 188
- 農村を考ふ / 191
- 農村に寺院過多 / 197
- 三角關係の三型 / 200
- 女子敎育に就いての斷想 / 218
- 非常時日本と日本精神の高揚 / 224
- 第4部 社會史的散策
- ルンペン親鸞 / 231
- 佐田介石の復活 / 243
- お吉と松陰 / 249
- 崇福寺と天主堂 / 254
- 宗吾廟を訪ふ / 260
- 百姓一揆の回顧 / 263
- 商人史斷想 / 276
- 第5部 社會學說史雜考
- スミスとマルクス / 285
- プルードンとマルクス / 290
- マルクスと剽窃問題 / 302
- フランツ・メーリングの追憶 / 310
- 「社會學」百年祭 / 330
- 佛敎社會學の一先驅石川舜台を憶ふ / 336
- 佛敎社會學は可能である / 345
「国立国会図書館デジタルコレクション」より
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書名 |
社会宗教としての仏教 |
著作者等 |
浅野 研真
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書名ヨミ |
シャカイ シュウキョウ ト シテノ ブッキョウ |
出版元 |
大雄閣 |
刊行年月 |
昭和9 |
ページ数 |
348p |
大きさ |
20cm |
NCID |
BA48026776
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全国書誌番号
|
47000655
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言語 |
日本語 |
出版国 |
日本 |
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