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キェルケゴオル選集
第12巻
ゼエレン・キェルケゴオル著 ; 田淵義三郎譯
[目次]
- 標題
- 目次
- 序論 / 7
- 第一篇 / 15
- A 著者が美的作家であるか、それとも宗教的著作家であるかと云う全著作活動における兩義性、または二重性 / 16
- B 著者が宗教的著作家であり、またそうであつたということの説明 / 21
- 第二篇 著者は宗教的著作家である、との視點の下に解釋された全著作活動 / 31
- 第一章 / 32
- A 美的制作 何故美的制作を以て始められたか、あるいは全體的にみてこの制作は何を意味するか / 32
- 1 「キリスト教界」はおそるべき錯覺であるということ / 32
- 2 人をある一定の處まで連れてゆくことに眞に成功する爲には、何よりもまず彼がどこに居るかを見きわめることに努め、そしてそこから始めねばならないということ / 40
- 3 宗教心やキリスト教へは年がよつてからはじめて人の逃げ込むものだという錯覺 / 45
- 4 自分で連れてゆこうと努めている處までたとえ人がついて來ようとしなくても、むりやりにでも氣ずかせるという、この一つのことだけは彼にしてやれるということ / 50
- 5 制作活動全體から眺めるとすべての美的制作は一つの詐術であり、しかも一風變つた詐術であるということ / 56
- B 『結末的あとがき』 / 59
- C 宗教的制作 / 60
- 結論 / 60
- 第二章 制作の本質上の相違に對應する私の個人的な實存の相違 / 63
- A 美的制作に對する個人的な實存の關係 / 64
- B 宗教的制作に對する個人的な實存の關係 / 74
- 第三章 私の著作活動における攝理の役割 / 87
- むすび / 125
- 附録 / 139
- 「單獨者」私の著作活動についての二つの「覺書」 / 141
- 序 / 143
- その一、 獻呈辭「かの單獨者」について / 147
- その二、 一言私の著作活動と「單獨者」との關係について / 163
- あとがき(一八四九年に) / 184
- 二つの「覺書」へのあとがき / 185
- 譯註 / 189
- 譯者のあとがき / 205
「国立国会図書館デジタルコレクション」より
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書名 |
キェルケゴオル選集 |
著作者等 |
Kierkegaard, Søren
田淵 義三郎
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書名ヨミ |
キェルケゴオル センシュウ |
書名別名 |
我が著作活動の視点 |
巻冊次 |
第12巻
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出版元 |
人文書院 |
刊行年月 |
1949 |
ページ数 |
208p 図版 |
大きさ |
19cm |
NCID |
BN06210781
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全国書誌番号
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51004275
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言語 |
日本語 |
出版国 |
日本 |
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