慶長十七年(一六一二)江戸幕府は、大橋宗柱ら八人の碁打ち・将棋指しに、毎年、俸禄を与えることを決めた。その後、大橋家は、幕府に拝領地を下賜され、武士でも庶民でもない「御用達町人」となり、毎年、江戸城内で「御城将棋」を披露した。しかし、大橋家は、家業収入と幕府からの俸禄だけでは生活が成り立たず、拝領地に長屋や店舗を建てて地代家賃の収入を得て生活を維持してきた。こうした史実は、「大橋家文書」が発見されるまでは、全く知ることが出来なかった。本書は、明治まで続く「将棋宗家」十二代のお家存続の努力の歴史を明らかにする。将棋の普及に貢献した一族の歴史は、交際費や付け届けがかさむ借金の歴史でもあった。
「BOOKデータベース」より