きめこまかに東北地方の山々を見て行くなら、1000メートルに満たぬ低い山にも、かつては信仰登山が行なわれ、修験者に率いられた道者や行人が入峰した歴史を持つことが発見されることであろう。東北地方には、なぜ、このように山岳信仰が盛んであったのか。そして、それらの山々は、ところによっては本山派の修験者が多く、土地によっては羽黒派が勢力を握っており、ある山では本山、当山、羽黒の三派が入会で修行をしている。しかも、それらの山での修行形態は本山派とも異なり、当山派ともちがい、羽黒派でもなく、この山独自のシステムを構成している、ということである。さらに言うならば、この山、あの山、それぞれに独自の修行形態があり伝統があって、なにゆえ、この山を羽黒派の修験者が掌握しているのか、どうしてあの山に本山派の修験者が入り込むようになったのか。
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