大正初期、東京は財政破綻の危機に瀕していた。本格的な行政経験のある「大物市長」として迎えられた阪谷芳郎は、行政組織の簡素化・効率化、市営事業による収益改善など行財政改革に果敢に取り組み、財政再建のための市債発行、上下水道の拡張・改良事業、東京湾築港事業、電灯・電車などの市営事業のほか、市区改正事業や社会事業にも奔走した。現在の東京都と似通った問題を抱えていた時期の「日記」を、人名注記などの校訂を加え完全活字翻刻。日記に貼付されていた新聞切抜き160点もコンピュータ画像処理によりすべて収録。
「BOOKデータベース」より