保坂清 著
なぜ、彼は今も"恩人"なのか?明治11年に弱冠25歳で来日したお雇い外国人哲学教師。内外の強化拡大を図る明治日本にとって、彼が講演する"優勝劣敗"を軸とする社会進化論は絶好の…。鹿鳴館総工費19万ドルの時代に、彼が売却した日本美術品のボストン美術館買上げ額は28万ドルといわれる。にもかかわらず、いまなお顕彰されるフェノロサの知られざる影を追う。
「BOOKデータベース」より
[目次]
情報を取得できませんでした。
件が連想されています
ページトップへ