陸奥花巻の富裕な商家の長男として生まれた宮沢賢治は、家庭の仏教的雰囲気の中で成長し、思春期に受けた法華経の感動を生涯持ち続けた。すべての生物の究極の幸福を理想として掲げた賢治は、零細農民の困苦を見るにつけ、家業・商業主義に疑問を抱き、一時社会主義にも接近していった。そして、独居自耕自炊の生活にとび込み、ひたすら前近代的な東北農民の改革に奔走した。生前出版した近代詩史上独自の光彩を放つ心象スケッチ集『春と修羅』も、近代児童文学の傑作・童話集『注文の多い料理店』も、そのユニークさのゆえに文壇の評価をみるに至らなかった。法華経にうらづけられた明日の社会を目ざして猛進した賢治だったが、病魔が三十七歳の肉体を蝕んだ。不遇な一地方作家の清冽な生涯であった。
「BOOKデータベース」より
付: 参考文献
「国立国会図書館デジタルコレクション」より